はじめまして、庭師の和田です。
20歳で造園の世界に飛び込み、現在は関東一円でバラ園や個人邸で薔薇の管理をしています。
今日から「和田BLOG」と題して、僕がこれまで現場で培ってきた経験や、日々のバラの管理方法について書いていこうと思います。今回は、僕がなぜこの道を選び、なぜバラの管理にこれほどまで情熱を注ぐようになったのか、その原点をお話しします。
僕がこの造園の世界に初めて足を踏み入れたのは、20歳の頃でした。
きっかけ子供の頃から憧れていたアメリカへ渡るためでした。どうしても自分の目でアメリカを見てみたくて、その渡米費用を稼ぐためのアルバイトとして選んだのが庭の仕事でした。あくまで資金稼ぎのつもりでしたが、土に触れ、木々を扱う現場の仕事の面白さにすっかり魅了されてしまいました。
念願叶ってアメリカへ渡り、様々な経験をして帰国した後、私は迷わずアルバイト時代の親方のもとに弟子入りし、本格的な修行の道に入りました。私はそこで園芸の基礎を徹底的に叩き込まれ、さらにスキルアップをしようと考え別の業者で修行に励みました。そこの親方の指導は厳しくも温かく、そして技術を惜しげもなく教えてくれたのです。
妥協を許さない現場で技術を身につけ、修業を重ねていきました。
そして、30歳を前にして独立を意識し始めた頃です。
色々なことがあり人生の進路について、自分の中で大きな迷いが生じました。独立してやっていけるのか、本当にこの道でいいのか。その迷いの中で、あるアルマイト加工の会社に面接に行き、採用されました。3ヶ月の見習い期間を過ごしましたが、この仕事を一生続けていきたいかと考えた時に、どうしてもピンとこなかったんです。それで、社員になるお話は丁寧にお断りしました。
その後も、色々と考え、ある工場の面接に行きました。そこで出会った社長に、生年月日と名前を見られ、じっと見つめられてから「あなたはウチで雇えるような器じゃないので申し訳ないがお断りさせていただきます」と言われたんです。
その時、確か6月か7月でした。不採用の理由に呆然としている僕に、その社長は続けて、「9月になると、あなたの運気がだいぶ上がってくる」とも言われました。多分、その社長は気学や姓名鑑定の知識があったのだと思います。あの時は、ただ不思議な言葉だなと思っただけでしたが。結局、その後の9月、私は色々と考えた末に独立を決意しました。今思えば、あの社長の言葉通り、自然の気の流れが独立へと背中を押してくれたのかもしれません。
独立して初めてバラ園の管理をお任せいただいた時のことは、今でも鮮明に覚えています。
当時のバラたちは、あまり元気がないように見えました。担当さんから話を聞くとどうやら従来とは違う方法で育てられていたようでした。そのバラたちに、私が施したのは、親方直伝の「基本の手入れ」です。特別な薬や魔法を使ったわけではありません。植物が本来求めている環境を整える、地道な作業を続けた結果、バラは見違えるように生き生きと咲き誇ってくれました。
この経験を通して深く実感したことがあります。
それは、バラを元氣にさせるには、自然界のルールを自然から学び、理解することが何よりも大事だということです。人間の都合や理屈で作ったマニュアルを押し付けるのではなく、自然の法則の流れのなかで仕事をすることが大切です。
だからこそ、私が現場で最も大切にしているのは「自分自身の感覚を信頼すること」です。
生き物や自然を相手にするこの仕事は、ノウハウだけでは成り立ちません。土の状態、風の抜け方、葉の僅かな変化。五感、ときには六感まで研ぎ澄まし、バラと対話するように向き合って初めて想像以上の美しさで応えてくれます。
庭師の傍ら、私はあの工場で出会った社長の影響もあり、気学についても学びを深めています。これは単なる占術ではなく、自分自身の感覚(特に六感)を磨き、自然界の氣の流れ、自然の法則をより深く理解するためでもあります。
独立後、アルマイト加工会社で一緒だった2、3歳上の先輩に偶然会い、声をかけてくれた事がありました。その時に「今は自分で造園の仕事をしてます」と話した時に、「和田さんはあそこで働く雰囲気の人じゃないと思ってた」と言われたのを思い出しました。
僕たち人間が自然をコントロールするのではなく、自然の法則に沿って手助けをする。親方から叩き込まれた揺るぎない基本の技術と、現場で培ってきた自分自身の感覚。
この2つを大切にしながら、今日も現場でバラたちと向き合い、汗を流しています。